旅JUMPER

バリ島専門旅コミュニティ【旅JUMPER】の情報をまとめてます!

自由って...?

 
自由とは何だろうか。
日本では多くの人が自由を求めている。
多数の規則や法律、世間の目や親の目、仲間内での関係性。
それらに囚われているかのように、そこから逃げ出したいと思っているかのように自由を求めている。
 
では、自由とは何なのだろうか。あなたが求めている自由とは一体どういうものなのだろうか。
 
 
—————————————————————————————————
自由・・・他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うこと。(wikipedia参照)
—————————————————————————————————
 
言葉の意味合いでは、自由とは上記のものだ。
ここで疑問が浮かぶ。
 
【言葉上の〝自由〟は絶対に成り得ないものではないのか?】
 
「何ものにも拘束されず、支配を受けないで」この意味合いがどこまでを指すのかはわからないが、この現世に生きる上で、拘束されない生き方なんてありはしない。
法律でもなんでも、必ず〝人間が作った何か〟が人間を拘束する。
その時点で定義的〝自由〟は崩れる。
では定義的ではない、みんなが言う自由、とは何か。
それは人それぞれ異なるものであるのは間違いない。育った環境も異なり、目指す目標も異なる、そんな各々の生活の中で求める〝自由〟が同じになるはずもないだろう。
 
余りに抽象的すぎる概念でありまとめる必要もないのだが、やはり自分と違う〝自由〟には反応してしまうのだ。
「それは本当に自由なのか?」と。
ただ自分の中でもその概念をしっかりと言葉に落とし込めていない状態であり、〝答え〟を求めているのも確かだった。
 
そんな中で、出逢った言葉がある。
 
 
自由とは『生きること』
 
 
この言葉は俺が2013年の夏あたりに静岡でヒッチハイクをして出逢った女性の言葉。
自分なりに解釈したら、とても心に入ってきた。
 
皆最初は自由なのに、年を取るにつれて、知識が増えるにつれて、関わりが増えるにつれて、自分で自由の翼をむしり取っていく。
その翼に重しを自分で乗せているんじゃないかな、と。
 
生きることは自由だ。
 
自由を求めるということは、自分で自分の重しを1つ1つ外していくこと。ありのままの自分が一番自由なんだ、と。
今の人は逆にどんどんと重しを乗せていってる。「自由になるためにはお金と時間が必要だ!人間関係も大事だ!ファッションも自由にして豪邸に住んで好きなときに好きなことをやって...」
しかしこれは背後にある恐怖心に支えられて出来ている。
「もし稼げなくなったらどうしよう...」「人間関係が壊れたら...?」
それは、俺の中では本当の自由ではない気がする。
 
一番重きを置くべきなのは〝心の在り方〟だ。
心が自由なら、人は自由になれる。
心が生きれば、人は生きられる。
 
心を豊かにするために、そのために外のものが存在する。
もっと心に重きを置いて、そうやって生きていくことが大事なのではないだろうか。