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300台以上乗せて頂いて培ったヒッチハイク術と心構え

 

 
 
 
ヒッチハイクは心・技・体すべてを要する移動手段である。』
 
 
 
 
最近は周りの子がどんどんヒッチハイクを始めたり、「やりたい!」と声をあげるようになってきた。国内外合わせて300台以上の車に乗ってきて、数えきれないほどの人と対話をしてきたからこそ思うこと。
 
 
 
 
「高校の課外授業でヒッチハイクさせりゃいいのに。」笑
 
 
 
 
半分本気でそう思うくらいヒッチハイクというモノにお世話になった。今の自分に相当影響しているのは言わずもがな、後悔した車なんて一度もない。乗せてくれたすべての人が優しく、刺激的で、感謝しきれないほどだ。
 
 
そんな中、やはりヒッチハイクに対しての周りの見解に目がいく。
「今時ヒッチハイク!?」
「やっぱり危ないじゃん」
「恥ずかしいんだよね〜」
 
それらの世間の目が、〝やってみたいけど…〟という人の目の前に50m級の巨人となって立ちはだかる。
 
 
しかし、やりたいのならやった方がいい。
恐れ戦きウォールシーナの中で現実逃避するのか、調査兵団となり果敢に挑むのか…。
 
 
悠然と巨人に挑むには立体機動がないと。
自信を持ってやれる《勇気と行動力》は《知識と意識》から生まれるのだ。
 
 
 
 
 
 
[ 進撃の巨人 ]を読んだ人にしか理解出来ない意味不明な前置きはこれくらいにして、今回はそんな一歩を踏み出せない人へ
 
ヒッチハイクのコツ
ヒッチハイク時の心構え
ヒッチハイクから学ぶ〝人生教訓〟
 
を贈りたいと思う。
この記事1つで、ヒッチハイクの95%は網羅出来るであろう。
 
 
 
 
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ヒッチハイクのコツ】

 
 
・車通りは平均がベスト
 
一号線のような車がとめどなく通る道は実はムズカシイ。急に止まれば後ろから突っ込まれるし、何より「他の車が乗っけてくれる」という意識に流れてしまうからだ。
しかし5分に1台しか通らないような田舎道だとメンタルがやられる。だから理想は54号線(適当)のような『そこそこ通るけど凄い多いワケでもない道』が適しているのだ。
 
 
 
・ヒッチ場所は前後10m以内に一時停止可能な場所で
 
いざ「乗せよう!」と思っても止まる場所がなければ意味がない。通り過ぎて帰ってくる車は一握りで、一般的には「縁がなかった」と進んでしまう。
だから止まれる場所があるのは最低条件なのであるが、ヒッチハイクに適している最も分かりやすい場所と言えば『バス停』だ。余裕を持って止まれるスペースがあるから車もスッと入る事が出来る。
しかしバス運転の邪魔をしたら相当気まずいし下手したら罰金を食らうので要注意。
あと赤信号で止まってる車にアピールする人もいるが、余りオススメはしない。悩んでる内に青になって走らざるを得なくなってしまうからだ。やるとしたら信号の先で、止まってる時に向こう側からアピールすること。
 
 
 
・字は綺麗に大きく
 
俺は普段1m以上のサイズの段ボールを使ってヒッチハイクをする。そうすれば遠くからでも目的地が見えて、ドライバーが考える時間が増えるからだ。
小さい字だと通り過ぎる瞬間に目的地が見えるだけで、遠くから見たらただの<変な歩行者>だ。だから遠くからでも「あっ、ヒッチハイクしてる!○○方面だって!」とわからせるために大きな字で綺麗に書くべきなのだ。
 
 
 
・瞬間的笑顔が肝
 
ヒッチハイクで大事なのは《如何に乗せたいと思わせるか》良い場所で目的地が一緒でも、「あいつは嫌だ」と思われたらそれでお終い。だから相手に乗せたいと思わせなければならない。そのための最も効果的な手段が【とびっきりのスマイル】なのである。
(つくったようなぎこちない満面の笑みではダメ。好感の持てる自然な笑顔で)
 
 
 
・綺麗な格好で
 
ヒッチハイク[ 人様の車に乗せて頂く行為 ]というのを忘れずに。洗濯していない小汚い格好のヒッチハイカーを誰が乗せたがるのか。ちゃんとした格好でやること。
 
 
 
・ヒッチの王道はICとSA
 
長距離移動時のヒッチの定番と言えば高速道路。IC前で高速に乗り、SA(サービスエリア)を転々とするのが一番効率的だし、SAにいれば全ての車の進む方向も一緒で、考える時間も多い。だから乗せてもらいやすいのだ。
※トイレと自動販売機しかない小さなPAは大変危険。最悪そこで野宿するか下道に降りざるを得なくなるので気をつけて。
※SAは下道から乗り込めるので、SAからはじめる時はコッソリ入ること
 
 
 
・目的地は刻むべし
 
横浜でやっているときに<新潟方面>と買いても誰も乗っけてはくれない。だって遠いんだもの。
初めてヒッチハイクをしたとき、横浜の鶴見の時点で[富山]と掲げていたあの頃が懐かしいが、
東京⇒長野⇒新潟 と刻んで書く事が大切。
 
 
 
ヒッチハイク人数について
 
ヒッチハイクはやるとしたら2人まで。3人以上だとキャパシティ的に乗れる車が一気に減るし、男2人でも怖いから乗せてもらいづらい。
理想は男女ペアか女女ペア。または男ソロか女ソロ。
 
 
 
 
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ヒッチハイク時の心構え】

 
・[ 乗せてもらっている ]ことを忘れずに
 
ヒッチハイクは乗せてもらう車があるから成立する。我々ヒッチハイカーはただそこに目的地を掲げて立っているだけで、乗せてくれる車は自分のテリトリーに全く知らない人を乗せるのだから覚悟の度合いが違う。
乗せてもらうという謙虚な姿勢が大切だ。
 
 
 
・相手を楽しませること
 
乗せてくれるということは[ 面白そうだから ]や[ かわいそうだから ]という感情が働いたからこそ。そう思って乗せたのに車内で口を閉ざしていたらどうだろうか。ドライバーはつまらなさすぎて発狂してしまうだろう。事故ってしまう。
乗せてくれた恩は〝楽しい空間〟を創って返そう。
恩送りをする前に恩を返すことだ。
 
 
 
・完全完璧自己責任
 
ヒッチハイクで乗せてくれる人のほとんどは素晴らしい人達だ。俺は経験ないがしかし、中には違う人もいるだろう。だからヒッチハイク中は常に気を配るべきだ。とても仲良くなって意気投合して、いざ降りた時に発進して荷物だけ持ってかれる可能性は『0%ではない』のだ。
俺は相手がどんな人であれ一定の気を張っている。カメラや財布などの貴重品は身につけているし、咄嗟の出来事に対応出来るようにしている。これは相手を信頼していない訳ではなく、ごく当たり前の、自己責任を考えた上での防衛策である。
「信頼しているならそんなの必要ない!」というのは勝手だが、初対面の人にある程度の距離感を保つのはごく自然な事だと俺は思っている。
 
 
 
・乗せてもらえると信じること
 
正直にぶっちゃけさせてもらおう。
《日本であれば、待てば必ず乗せてもらえる》
300台以上乗って行き着く結論はこれだ。日本は素晴らしい。日本人は素晴らしい。とてつもない優しさと親切心、そして少しの好奇心の塊である日本という国でやるならば、まず間違いなく待てば乗せてくれる。
だから、1時間経とうが2時間経とうが、信じることだ。必ず乗せてもらえると。
 
 
 
・相手の立場に立つこと
 
正直にぶっちゃけさせてもらおう第2弾。
『そこじゃムリや!』ってとこで待ってるヒッチハイカーがたまにいることを。一番呆れたのはトンネルの中。そもそも歩道と車道で高さが違うし、後ろから車突っ込んでくるから。ナゼそこで待とうと思ったのか…。本気で考えてもわからなかった。
免許があろうがなかろうが、ドライバーの立場になってやる場所を考えるべきだ。
(ここなら止まれるかな)
(ここは自分だったら止まりたくないな)
そうやって相手の立場に立てば、ヒッチハイクをするために生まれた絶好の場所に巡り会えるだろう。
 
 
 
ヒッチハイクは違法じゃない、けど…
 
ヒッチハイクは違法ではない。法律上では問題はないから警察にとやかく言われる筋合いはない。がしかし、車道に出てやれば道路交通法的に厳しいし、高速でやったら完全アウト。通報が入っても迷惑行為で注意される。
ヒッチハイクすることに問題はないが、どこでやるかなどではアウトになるので場所等には気を配る必要があるだろう。
 
 
 
・注目される事を楽しめ
 
ヒッチハイクすれば必ず注目される。基本的に〔変な目で〕見られるだろう。しかし、その人達と今後どこで会う?今後会うはずもない人の目を気にして何に成るのだ?注目されるということは、存在を認めてもらっているということ。完全無視されるよりも何百倍もマシだ。最初は絶対に恥ずかしいだろうが、<恥をかいている>という意識を捨て楽しむ事が大切だ。見られているということがどうでも良くなるような素晴らしい出来事が、その後に待っているのだから。
 
 
 
 
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ヒッチハイクから学ぶ〝人生教訓〟】

 
 
・すべての出来事は繋がっている
 
ヒッチハイク【すべての出来事は繋がっている】ということを如実に表してくれる。その最たる例が、俺自身最初の1台目で起きたことだった。
 
鶴見の大通りでヒッチを始めるが捕まらず、約1時間くらい歩いて移動した場所で乗せてくれた方。その方は子供達に英語を教えており、元ヒッチハイカーでアメリカを横断した事があるらしい。鶴見の方はほとんど通らず、たまたま奥さんが千葉のららぽーとに携帯を忘れたのでそれを取りに行く道中だったそうだ。
色々話した時にその人は[とある場所で英語を教えている]と言った。なんとそこは俺の実家から自転車で行ける距離の場所で、母校である高校の最寄り駅だった———。

 

 
【たまたま】移動した場所で、
【たまたま】奥さんが携帯を忘れ、
【たまたま】その場所を通ったらヒッチハイカーがいて、
【たまたま】ご近所さんだった。
こんな偶然の連発がヒッチハイクでは当たり前のように起きる。たまたま寝坊して遅れて開始して乗っけてくれた人がたまたま知り合いの知り合いだった、など。
 

ヒッチハイクは偶然の産物』

 
もし前の人がそこで降ろしてくれなかったらその人に会えなかった。
その前の人に会えたのも、その前の人がその場所に降ろしてくれたから。
その前の人に乗せてもらえたのもたまたま自分がその時間そこでやっていたから。
自分がその時間そこでやっていたのも、たまたま自分が寝坊したから。
偶然が偶然を呼び、奇跡のヒッチハイク物語は成立する。すべての出来事が繋がっていることをヒッチハイクが教えてくれるんだ。
 
 
 
・自分を信じる事の大切さ
 
乗せてくれる人に会えたのは〝自分がそこに立っていたから〟自分が行動を起こさなきゃその人に会えなかったんだ。自分を信じれば、〝何か〟が起こる。自分を信じずに諦めていたら、その〝何か〟は起こらないんだ。
ヒッチハイクは、自分を信じる大切さを身体に教え込ませてくれる。自分の事をもっと好きにさせてくれる最高の手段なんだ。
 
 
 
・pay it forward
 
乗せてくれた恩は計り知れない。その恩を返そうと乗車中に必死に頑張っても、すべてを返しきる事なんて到底出来ないほどの恩だ。ではどうすればいいのか。
世界にはこんな言葉がある。
 
《pay it forward》(恩送り)
 
恩返しではなく恩送り。優しくされた恩を違う人に返す。
ヒッチハイクをするとこれが当たり前になってくる。何故か、優しさに触れられるからだ。見ず知らずの若者を自分の車に乗せてあげるという優しさの塊である行為を受けることにより、『誰かに優しくしよう』という心理に至る。
ロバート・B・チャルディーニ氏提唱の『返報性の原理』の応用編だ。
優しくされたら優しくなる。その【優しさスパイラル】で心が温まり、どんどんと広がっていく。pay it forward は『優しさの溢れた世界』になるための第一歩なのかもしれない。
 
 
 
・優しさの溢れた世界
 
前述したpay it forwardの世界に繋がるかもしれないが、世界は既に優しさで溢れている。300台の車に乗るということは、少なくとも300人以上の優しさに触れているということ。俺は京都とアメリカで最長4時間待ったことがあるが(アメリカでは断念した)、京都で4時間待って乗せてもらえた時の感動は今でも忘れない。俺にはその人が神様に思えたくらいだ。そんな計り知れない優しさが、既にこの世にたくさんあるんだ。
ヒッチハイクをして世界の優しさに触れることで、自分の心も救われ、徐々に目の前が希望に満ちた世界に変わっていくんだ。
 
 
 
コミュ力の必要性
 
「度胸とコミュ力がなければヒッチハイク出来ないじゃないか。そんなものを持ち合わせていない奴らはどうすればいいんだ」そんな声が聞こえるが、俺は〔人見知りを治す為にヒッチハイクの旅を始めた〕という人を知っている。俺がヒッチハイクしている時に声をかけてくれたのだが、その時点で彼は人見知りではなくなっている。多少荒療治だが、そうやって自分を変える為にヒッチハイクする人も多々いるものだ。最終的には《やるかやらないか》根性や度胸で言い訳するヒマがあるなら1度ふざけてやってみると良い。
 
ヒッチハイクの良さはやらなければわからないのだから。
 
 
 
・多様な価値観で世界は成り立っている
 
以前、サッカーボールを蹴りながら日本一周を成し遂げた人がいた。同時期に無一文ヒッチハイクで旅をしていた自分は、車中でよくその話をしていた。そうすると色んな意見が聞ける。
とあるご老人は「そういう夢を追いかける若者を見るだけでやる気が出てくる。周りに良い影響を与えてくれる」と大絶賛していたのに対して、とあるお父さんは「それを真似して道中でボールを蹴る子供が増え事故にでもなったら大変だ。子を持つ親としては余り賛同出来ない」と言っていた。両者とも深く共感し、ヘドバン並みに頷いたものだ。
人はみな違う。そんな違う人達によってこの世界は成り立っている。ヒッチハイクをすることで色んな価値観に出会い、自分の世界が広がる。許容範囲が広がる事で他者を認める事が出来るようになるんだ。
ヒッチハイクは人間として成長出来る、〝人間力〟が身に付く素晴らしい行為だと思っている。
 
 
 
・知らぬ間に誰かに何かを与えている
 
以前静岡で乗せてもらった人に言われた言葉がある。
 
『あなたに会えた良かった。思い切って声をかけたおかげで救われた。』
 
俺はそこでボードを掲げて立っていただけだ。そして車中に喋り散らかしただけ。
ヒッチハイクなんて乞食のやることだろ」
「人の世話になってばかりで恥ずかしくないのか」
色々言われた事があるが、「あなたに会えた良かった」と言われた瞬間、それらの批判は雲散霧消した。
知らないところで、誰かの為に成っている。ヒッチハイクがそれを教えてくれた。
ヒッチハイクをする子のほとんどが明るくエネルギッシュな子達だ。そんなエネルギーを目の当たりにすれば、何かを感じる人もいるだろう。前向きになる人もいるだろう。
 
 
今、自分の存在意義に悩んでる人達は、悩む必要なんてないんだ。
あなたが存在するだけで、知らないところで誰かに何かを与えているのだから。
 
 
 
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以上、開かずの踏切並みに長くなってしまったが、踏切を待っている間に読んでくれれば幸いだ。
立体機動は身につけれられただろうか(またそのネタか)。
俺はヒッチハイクに出会って人生が好転したと言っても過言ではない。ヒッチハイクが教えてくれたことはとても多く、色んな価値観に出会える。
いまハマっているのは〝乗せてくれた人に会いに行く旅〟だ。1年半前に乗せてくれた美容師さんに髪を切ってもらうために大阪に行ったり、前述した静岡の人に会いに静岡まで行ったり。今年は北海道や沖縄にも行って会いに行こうとも思っている。
当時の話を肴に飲む酒は格別なものだ。
 
 
 
ヒッチハイクをしようか悩んでる人達がいるなら、やってみることを全力でオススメする。当方たまにヒッチハイク企画を打ったりもするし、知り合いの団体が定期的にヒッチハイク企画を打っている。300はくだらない数のヒッチハイカーの知り合いが全国にいるので紹介する事も出来る。
ヒッチハイクという未知の行為を促す身として、聞かれたことには答えるし出来る限りの助力はする。しかし、最終的には自分でどうにかするしかない。
 
 
 
このブログを読んで、自己責任である程度のリスクマネジメントをとった上で、最高の人生経験となるであろうヒッチハイクをしてもらえたら嬉しい限りだ。