死ぬまでに思考、やめませんか?
《死ぬまでに見たい!世界の絶景》
「死ぬまでに行きたい!」
「死ぬまでにやりたい!」
「死ぬまでに叶える!」
死ぬまでに.....
最近この言葉をよく聞く。一生の内で必ずやりたいことを強調するために使う言葉であり、また自分の欲求をより高め、満たすためにも発せられる時もある。
計画的に言っているのであればいいが、しかしこの言葉、
裏を返せば とんでもない落とし穴 になる可能性があるのを皆気づいてないのだろうか。
この言葉を使うだけでその対象の物事を○○にしてしまう。
この○○が重なって、結局全てをやり切れずに後回しにしてしまうのである。
死ぬまでに思考を習慣化した場合、必ず○○のせいで未来で後悔することになる。
では必ず後悔させてしまう○○とは何のことだろうか。
それは、【後回し】のことだ。
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後回しが何故行けないのか。
それはそもそもの〝死〟の認識の違いから始まる。
「死ぬまでに、と言う人は自分は7,80歳まで生きていること前提で考えている。」
この思考回路はとても危険だ。(ちなみに日本人の平均寿命は確かに80歳)
例えば20歳のあなたが下記のことを「死ぬまでにしたい!」と後回しにしたとする。
・3ヶ月南米周遊
・電子書籍の出版
・母校で講演
・NYで年越カウントダウンを経験
・全世界のディズニー制覇
そこで、あなたが脳梗塞で40歳で亡くなるとしよう。
上記のことを全て出来るだろうか?
「20年もあるから絶対に出来る!」と言う人もいるだろうが、それは『あること』を理解せず、ただ文だけ読んで捉えた考え方だから出る言葉だ。
『あること』とは、『自分がいつ死ぬかどうかは分からない』ということだ。
死神が降りて来て「お前は40歳で死ぬ。」と言ってきたら、その人は全力で生きようとするだろう。後悔しないようにするだろう。
「死ぬまでにしたい」ということは出来なかったら後悔の対象になるから、それらのこともやり切るために行動するのは想像に難くないと思う。
ただ、あなたは自分の死期を知ることは出来ない。出来たとしても、<余命何年>レベルだ。そして余命を宣告された場合、これは個人的な想像だが、「死ぬまでにやりたいリスト」は一気に増えるだろう。一気に増えた場合、やはりその余命の中ですべてを やり切ることは相当難しい量になるはずだ。(少なくとも自分なら)
【死ぬまでに思考】にはこれだけの危険性がある。
死ぬまでに、と言った時点でその物事をすぐにやろうとはしない。
だって、死ぬまでにやればいいのだから。期間があるのだから。
だから、上記の思考の人達は後悔しながら死ぬ可能性が高くなるのだ。
平均寿命は80歳だが、100歳まで生きる可能性もあるし、30歳で死ぬ可能性もある。
なんなら明日死ぬ可能性もあるのだ。
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ここで実体験を例に出させてもらう。
18歳の時、大学入学前、小学校の同窓会で久しぶりに友達と再会した。彼は大学入学も決まっていて、彼女も出来たばかり。お互いサッカーが好きで、「海外の本場のサッカーを見に行きたい!」と話をしていた。
「また一緒にサッカーしような!」
それが彼との最後の会話。
彼は2週間後、大学の入学式前後に脳梗塞で亡くなった。
彼は死ぬまでにしたいことがたくさんあっただろう。
しかし、それらをすることは出来なかった。
死んでしまったからだ。
あなたは本当にすぐ死なないのか?
本当に80歳ぐらいまで生きていられるのか?
そして80歳まで生きていたとしても、そうやって「死ぬまでに...」と言って後回しにしたことをやり切ることが出来るのか?
その後回しにすることは、行動に移せば1年以内に出来る内容ではないのか?
【死ぬまでに思考】をやめて、早く行動に移せるように考えよう。
自分がいつ死ぬかわからないのだから。
後悔しそうな内容には早めに行動に移そう。