ボランティア、寄付、募金
どうも、あもんです。
初の北海道上陸!
初めて路上をやったり、野宿してたら通報入って警官来たり、(仲良くなったけど笑)、新たな友達ができたり、、、
やっぱり最高ですな(≧∇≦)
今回はボランティアや寄付、募金についての個人的見解を少々。
最近増えてますよね。
「カンボジアに家を建てよう!」
「ボランティア団体」
「ラオスに募金を!」
などなど
良いことだと思っています。
相手の立場にたって、何が必要なのかを考え、そして行動に移すこと。
簡単なことではないです。
行動することそのものに対して、まず敬意から入るものだと思っています。
ただ、最近色々と考えていました。
「本当に良いことなのか?」と。
正確には、
「ボランティアや寄付、募金は全て良いことなのか?」と。
ちょっとキツイことを書きます。
最近学生団体絡みのボランティアの話を聞くのですが、そこでどうしても感じてしまうことが、
1.本心が不明
2.リサーチ不足
3.実績作り
4.形あるものへの拘り
5.自己満足
6.一過性の罠
です。
1.本心が不明
幹部クラスの気持ちの熱さは伝わってきますが、末端の人たち(新しく入った人や、関わりが薄めな人)の気持ちが全然伝わってきません。
その子達は何故やっているのか?
どうしても、
3.実績作り
5.自己満足
これらを満たしたいだけにしか思えません。
この前聞いた衝撃の一言
「取り敢えずボランティアやる?」
悪寒が走りました。
その瞬間、この人たちとは関わりたくない、と思わざるを得ませんでした。
2.リサーチ不足
これは、
[本当にそこが1番必要なのか?
そこに行き、感じたからそこにしたんじゃないか?
もしそこに何かしたいのなら、今やろうとしていることが1番必要とされているのか?]
ということを感じました。
4.形あるものへの拘り
形あるものが1番目に見え、感じやすく、何より実績に繋がるもの。
みんながみんな校舎を建てたりしているが、他にないのか?
形なきものでも、必要とされているものはあるんじゃないか?
6.一過性の罠
これが1番引っ掛かっています。
家を建てました!
校舎を建てました!
井戸を掘りました!
確かにやり切った感はあります。
【その後は?】
ここが凄く抜けている人が多いと思います。
校舎や家を建てました。
→維持費は?利用の意図は?
→教師の数は足りてる?
井戸を掘りました。
→定期的な水質検査は?
→地元の人は出来るの?
今、カンボジアには廃校になっている校舎が少なからずある、と聞きました。
作る前に、それを再建しないのか?
何故、廃校に?
そんなことを考えるのが、先にやるべきことなのかな、と思っています。
僕が前聞いて、その後よく人に使う話があります。
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海で溺れて、無人島に漂着しました。
食べ物も飲み物もない。
道具も何もない。
が、その島に1人だけ住人がいました。
彼は魚を釣って生きています。
1.あなたは言いました。
「1日言うことを聞くので、魚を分けてください。」
→お昼にセッセと働き、3食GET!
次の日ご飯がないので、再びその人の言うことを聞きご飯GET!
次の日も次の日も、、、
2.あなたは言いました。
「魚の釣り方を教えてください。」
→お昼にセッセと働き、3食GETし、1日の終わりに少しずつ釣り方を習い、1ヶ月後には自分で釣ることができるようになりました。
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ボランティアや寄付、募金は【 1 】です。
魚を与えているに過ぎません。
再び求められ、依存型の人たちが生まれるだけ。
じゃあ【 2 】はどうやるのか?
相手を自立させるために教育すること
カンボジアなら、
カンボジア人がその地元を救えるように促すこと
だと思います。
【 2 】のボランティアや寄付、募金をやっている人たちは、本当に凄いことをしていると思ってます。
仮に【 1 】でも、定期的に人を送ってる団体(学生団体なら、毎年1年生がその土地に行く、など)
これが出来ている団体なら、僕は凄く良いことをしている、と思っています。
本当は、ボランティアすらやっていない僕が言う資格はないのかもしれない。
何もわかっちゃいないのかもしれない。
でも、だからこそ分かることもあると思っています。
共感しなかったら、流せばいい。
何かを感じたら、受け止めればいい。
他人の意見なんて、そんなもん。
ただ、読む前から「こいつの意見なんて知らん」ってスタンスの人は、読んだ後意見が変わることなんてほぼないんで。
「聞いてやろうじゃんかよコノヤロー!」
くらいのスタンスで読むものかと。
参考になれば、幸いです。